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1.【最初の発病】 はじめに

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悪性リンパ腫探検隊/ホジキン病闘病記


1.はじめに(一回目の発病時に思ったこと) (記 H11.12月某日)


・まさか自身が悪性リンパ腫ホジキン病という血液ガンになるとは思っていませんでした。ガンになった方は皆さん同様に言うことではいかと思います。なりたくてなるわけがありません。なりたいと口に言う人は慎みましょう。でん子からのお願い、という古いフレーズの落ちです。

 さて、何が原因で悪性リンパ腫ホジキン病になってしまったのかわかりませんが、因果応報、悪因悪果。就労中のストレスが原因なのだと思います。転職先(アミューズメント施設)での今までと違った不規則な生活。朝まで続く深夜勤務。15時間勤務の連続。 生活リズムが今までと180度かわってしまったのが遠因ではないかと思います。ある意味、看護婦さんは凄いと思います。 自身の成長がこのままで終わってしまう(詳しくは総務部総務課探検隊へ)のはまずいだろうということで転職し、新たな勤務先に移ったわけですが、入社したての頃の私は、体の中の痼り(しこり)が大きくなってくるのは仕事に支障をきたすのではないかと思っていました。家庭医学の本で自身の症状と照らし合わせると悪性腫瘍みたいでした。 (その時はホジキン病とは思っていませんでした)まさかそんなことはないよな願わくば良性腫瘍でいてくれよという気持ちで近所のかかりつけの医院へ赴きました。すると東京大学医科学病院を紹介され、こりゃあかんと思っていると、検査3回目くらいで別室へ呼ばれ告知されました。その時は「なんとかなるだろう」という気持ちと、不謹慎ながらこれもメルマガネタだ。との思いがありました。その時の悩みといったらガンとわかったことよりも「転職したばかりの私が治療させてください。しかもガンです。と言えるわけがないからどうしよう」という事でした。

 医師は入院治療をすすめてくるわけですが、そんなことができるわけがありません。当然拒みます。必然的に勤務先の休みに会わせた治療方法と検査を組むことになってきます。そのためにもセカンドオピニオン・サードオピニオンを重視し、インフォームドコンセントを大切にしました。また、自宅近くの血液内科を紹介してもらうようお願いしました。 抗ガン剤を投与した翌日は必ず休みをいれるようにしました。治療中でも会社の業務を優先するために投与翌日でも出社することがありました。副作用が恐いので丸山ワクチンの投与も考えました。そんな中で今回のコンテンツは生まれ、記録として残すようにしました。

-拝-

(追加修正H19.1.15)


 2003.10.16追加

・ホジキン病はイギリス生まれのトマス・ホジキンが論文を発表したことにより ホジキン病と銘々された。
 70へぇくらいでしようか(苦笑)。 ちなみに以下を参考としました。

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